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脳転移と共に生きて:
家族から見た乳がんストーリー 2012年2月



ニュージャージー在住ナンシー三輪さんが妹のダイアンさんの乳がん治療後、
脳に転移したことについて当時の様子を語ってくれました。 。。。。 英語本文
ダイアンさんの乳がんプロフィール



39歳で乳がんと診断される、ステージ3、Her2陽性、乳がんの家族歴史なし、乳房全摘出手術、化学療法、放射線療法、ホルモン療法を行う


48歳で脳に転移


それは決して忘れることのない瞬間でした。“医者が脳に何かあるようだ、と言っているの、、、また髪の毛が抜けるのね。”それは私の妹、ダイアンから発せられた驚きの言葉でした。ダイアンは当時48歳、10年ほど長きにわたって行ってきた終わることのないような乳がん治療-放射線療法、化学療法、血液検査、MRI検査、CAT検査、ホルモン治療などの経口投薬(彼女はHer2陽性患者でした)そして精神科受診-をし続けた後、“がんと闘っている全ての母親”として5年目を迎えるところでした。この時の脳の中にできた最初の腫瘍を取り除く手術はその後に続いた治療に比べれば些細なことに思えました。

ダイアンは39歳のときに乳がんと宣告されました。彼女は30歳頃結婚し、2人の子供を2年の間をもうけて出産し、平穏無事な人生を過ごしてきていました。外に仕事を持ち、タバコを吸い、特にビールを好んで飲酒し、運動もしない、また避妊用ピルを20年に渡って使用したりしなかったりと、健康的とは言いがたかったこれらの習慣はアメリカの他の人と比べても特に珍しいことではありません。喫煙と避妊用ピルとの同時摂取の危険性は長い間言われていましたが、彼女はその危険性を無視していました。私が思うに妹は常にその二つの組み合わせ-喫煙と避妊用ピル-ががんにかかった理由ではないかと思っていたようでした。39歳まではダイアンは私同様毎年マンモグラフィーを受けに行っていました。しかしこの年には忙しかったことと特に乳房に大した変化も感じられなかったという理由で検診に行かなかったのです。自分の年齢層における一般的な乳がんの罹患率の低さと、特に乳がん家系ではない(母方の祖母ががんではないが乳房の腫瘍切除を80歳の時に行ったぐらい)ということで、毎年受診するマンモグラフィーを受診しなかったことは大した事ではなかったでしょう。マンモグラフィーを受診するはずだった9ヶ月後、左の乳房に常にちくちくするような嫌な症状があり、医者に行ったのです。しこりは感じられなかったのですが医者はマンモグラフィーを受けるように指示しました。マンモグラフィーと超音波検査でリンパ節に非常に近いところに1インチ(2.5cmほど)の大きさの腫瘍があることがわかりました。妹はステージ3の乳がんで、悪いことにHer2陽性でした。

最初のがんの診断のおよそ10年前以降、乳房全摘出手術、化学療法、放射線療法、経口薬治療と治療してきました。数年後がんがリンパ節にも転移し、ダイアンには肺と腎臓に転移したがん治療のための再度化学療法と放射線療法が必要でした。その後、ちょうど5年間がんが再発していなかったことを祝おうとした時、(その時はもう妹は幸せに離婚していました)血液検査とMRI検査によって脳に何か気になる症状が出ていることがわかったのです。

脳転移は疑いもなく乳がんから転移したもののなかでも最も良くない形の一つです。脳転移に関してとても参考になるウェブサイト、Breainmets.orgのホームページではダイアンの脳転移の可能性は25-40パーセントであるということでした。何故なら彼女は乳がんにかかったのが50歳以下で、Her2陽性であること、そしてがんがすでに肺に転移していたからです。このようにリスクが高いということで、私は彼女の腫瘍内科医が通常の乳がん患者よりも多くの検査をしていると思いました。

がんが脳に転移するという事は予測不可能なだけに非常におそろしいことです。食事や健康的なライフスタイルなどでがんの進行を遅らせられるというわけではありません。Brainmets.orgのホームページによると早期発見の為にすすめられる定期的な検査も特になく、早期発見と治療が患者の生存率に関係がないとされています。治療は通常外科的手術、全体頭部にする放射線治療、局部高線量放射線、そして経口化学療法です。通常の化学療法では脳にある薄いバリアのような血液脳関門を通過できません、この血液脳関門は脳に入ってくる物質を制限するもので、これがまた毒素やウイルス、またバクテリアなどから脳を守ってくれるくれるものです。残念ながらこのような脳を守る働きをする物質ががん治療に障害となってくるのです。(詳しい血液脳関門についてはBrainmets.orgを参照してください)ダイアンの場合はすぐに全体頭部の放射線療法、局部高線量放射線療法、後は私が覚えている限り4種類の新しい経口薬、タイケルブ、ゼローダ、テモダール、アバスティンなどを服用し、そして次第にステロイドを服用していました。脳に広がった腫瘍の数が少なかったので手術には適していなかったようです。
髪が抜けたことと疲労以外はダイアンが脳転移してからの最初の一年は特に大きな問題はありませんでした。しかしながら2年目の最初の2ヶ月ほどで動作に問題がでてきました。言葉の操り方に変化が出てきたのが最初で、どんどんと発せられる言葉が支離滅裂になり、また言葉が思い出せず、ろれつが回らなくなってきました。よろよろと歩くようになり、バランスをとるために片方の足を前に出そうとすることですらかなり難しくなってきました。尿漏れも嗅覚が悪くなってきたため恥ずかしいというより不快だったようです。今ではティーンエイジャーの彼女の子供たちも、離婚によって母親と父親の間でそれぞれ時間を別に過ごしていましたが、妹の頻繁に起こる理由のない起伏の激しさを理解しようと大変だったようです。妹の息子が彼女から車の鍵を取り上げたとき、それが正しいことだと妹が理解したときには余計イライラしたようでした。本当にがんは彼女の身体を蝕んだだけではなく、彼女の生きたいという志をも奪ってしまったのです。

私はダイアンのがんが脳転移したと宣告されたとき、彼女の代理権と遺産管理人になってくれるよう頼まれました。私は直ぐに承諾しましたが、その時どんな日々の責任が付きまとうのかまったく予想していませんでした。彼女は一人で暮らをしていたので私が月々の支払いなどの管理をしなくてはならなかったのです。転移宣告された直後に、私はニューヨークにあるスロ-ン・ケタリング記念病院の非常に著名な脳転移のスペシャリスト、アンドリュ-・シードマン医師に予約をいれました。私は彼女の検査結果などを先生に送り、片道2時間かけて彼女を迎えに行き、そしてニューヨークまで彼女を連れて行こうとしていたのに、彼女は行こうとはしませんでした。(妹はその病院で胃がんで亡くなった私たちのおばのことを思い出させました)今となっては本当のところはわかりませんが、思うに転移宣告から直ぐだったため、病気の症状がなく、ダイアンは彼女の腫瘍内科医が治療を成功させてくれるものだと思っていたのではないでしょうか。よく言われていることですが、患者は担当医に安心して信頼を寄せなくてはならないといいます。この信頼はダイアンが転移前の10年の間に彼女の腫瘍内科医と放射線医師との間に築いてきたものです。介護をするものにとってはその絆を理解することが重要です。

およそ16ヶ月の脳転移の治療後に彼女は頻繁に起こる頭痛に悩まされるようになっていました。50歳の誕生日にダイアンは昼寝から起き、ちんぷんかんぷんで何を言ってるかまったくわからないことを突然言い出したのでした。病院にあわてて連れて行ったところ、脳卒中ということでした。それから2週間後、一日中完全介護付きということで家に帰れたのです。ダイアンと家族にとって介護は一番の贈り物でした。ダイアンは最後の日々を自分の家で穏やかに過ごたのです。私たちも好きなときに彼女のところに訪れることができました。最初の2週間で少し良くなりましたが、あまりにも治療するには体が弱くなっていたので緩和ケアに移りました。脳卒中から4ヵ月後、脳にがんが見つかってから22ヶ月後、彼女は静かに息を引き取りました。

私が彼女の腫瘍内科医と放射線医師と話をしたときに何回にもわたって行ってきた放射線療法が脳卒中を引き起こしたのではないかという推測でした。他の理由としては、脳卒中が起こる前にも服用していたアバスティンの副作用ではないかということです。アバスティンはBrainmets.orgでのシードマン医師のインタビューによると、はっきりは言えませんが脳卒中と関連があると知られているということでした。また他の理由としては彼女の病気がたんに10年もの長い間彼女の体を蝕んだことによる当然の成り行きだったかもしれないのです。

私たちはダイアンの死から何を学んだでしょうか?まず、脳は私たちにとってまさに命だということは明白だということです。脳が体の他の器官とコミュニケーションを取れなくなったとき、体の様々な場所は徐々に動かなくなります。ダイアンの場合は脳にあったがんが徐々に彼女を死に至らせたのです。次に、乳がんを防ぐ努力をすべきかがいかに重要であるかということです。健康的な食生活、適度な運動と休養、喫煙をしないこと、適度なアルコール摂取、そして十分の睡眠は私たちの体と心を強くするものであるというこは言うまでもありません。その様な生活をし続ける最善の方法としてダイアンがどの様にがんに苦しみ、そして倒れたかということを思い出すのです。そして最後に次の決まり文句“毎日を人生最後の日だと思って生きてみなさい”がいかに真実味があるか-素晴らしい人生を失うかもしれない危機に直面して初めて人生がどんなに素晴らしいものであるのかと知るのです。