サバイバーのお話

サバイバーのお話

サバイバーのお話(1)ピクチャ 3.png

ピクチャ 3 17-46-49.png


私は38歳の時、2人目の子供を流産してから3ヶ月後、突然乳がんを告知されました。
 外科的手術、抗がん治療、放射線治療を受けました。その後、タモキシフェンを5年間飲みました。その間、食事療法と運動に気をくばり、きわめて健康的に普通に暮らしていました。そして、術後5年を過ぎた頃からは、乳がんは完治し、もう再発することも無いという自信すらでてきました。1回目の乳がんになってから、ニューヨークのコロンビア大学病院にある乳がんのサポートグループ "Women's At Risk" の理事の1人として積極的に活動してきました。
 ところが、2004年、偶然に肺に乳がんの再発があることを発見し、愕然としました。
それ以来、アメリカのFDAより認可されたばかりのホルモン剤(アロマターゼ阻害剤)Femaraを飲んでおります。そのおかげか、肺に再発した乳がんは現在のところ進行しておりません。
 私生活においては、1度目の乳がんの後、家族の強い希望もあり、外国から養子を私達夫婦の二女として迎えました。乳がんと共存しつつ、前向きに毎日の生活を楽しんでいます。
 このグループを通して、治療中のサポートだけでなく、治療後も乳がんを再発させず、健康で長生きする為に皆様と意見や情報交換をする機会をつくりたいと思います。また、ミーティングやパーティーなどを主催し、楽しく且つ活気を与えられるネットワークにしたいと思っています。 

山本眞基子 (創立者ーPresident)

サバイバーのお話(2)ピクチャ 13.png

ピクチャ 13.png

 私は、34歳のときに日本で乳がんの診断・告知と治療を受けました。2度目の妊娠初期に胸にかすかなしこりを感じましたが、超音波では何も見つかりませんでした。その後流産し、そのショックで胸のしこりのことは忘れていました。
 3度目の妊娠をし、無事出産、段乳後にしこりが大きくなっていたので乳腺外科にてバイオプシーを受けました。悪性で左胸の広範囲にひろがっていることが判明し、すぐ、全摘出の手術を受けました。結果はレベル3Aでした。
 術後の治療は、抗がん剤CEF、放射線治療をしました。アメリカではしませんが、抗がん剤の飲み薬も飲みました。また、ホルモン陽性でしたので、現在でもタモキシフェンを服用、リュープリンの注射をしています。
 今回の渡米は2年半前になりますが、病気をして初めて日本とアメリカでの医療のシステムの違いに戸惑うという経験をしました。しかし、半年位で再発すると危惧されていたにもかかわらず、現在に至るまで何事も無く日々を過ごしております。
 病気のサポートグループなどに参加している人の方が、生存率は高いということを耳にしましたことがあります。BCネットワークを通して若くして乳がんの経験をした人たちが、お話する機会を持ち、いつまでも健やかでいられるよう願っております。

    廣谷寿美子 (創立メンバー vice-president )




サバイバーのお話(3)ピクチャ 14.png

ピクチャ 14.png

2005年1月検診  2月再検査


2005年1月28日 − 検診
一年の健康診断としマンモグラフィ−を受診、2日後にもう一度再検診をしますという電話を受けた。マンモグラフィ−の技師に何か異常があるのと聞いたところ、組織が密集しているところなので、そんなに心配しなくても大丈夫と言われたが、ちょっと心配になった。

2月−再検査
2月16日・17日
再検診を受けた。最初両方のマンモグラフィ−をとり、右は異常が無いことが判明。左は合計で10枚以上のマンモグラフィ−を取った。最後にドクターが Ultrasound(超音波)をすることになり、左の母乳の上にUltrasoundをあてていくと、画面に確かに黒い丸みたいものがあり、自分でもよくみえた。確かに左胸の上部にしこりがある。明日Needle Aspiration(針生検)をして、細胞をとり、Pathology(病理)に回すことになった。翌日Radiation(放射線)の医師のところに行き、Ultrasoundでしこりの場所を確認し、細い針をさしこみ細胞を取り出す、所要時間30分くらいで、痛みはとても軽く、終わったあと、バンド・エイドをされ、すぐにシャワ−などしないようにといわれる。結果がわかるのは4日くらい、すぐにわかり次第連絡をしるとのこと。その際、結果が良くても、今1.5cmくらいだから、将来的に除去しておいたほうがいいというアドバイスを受けた。

2月23日
この週はPresident Dayで長く重い週末。水曜日にオフィスの電話にドクターからの伝言があり、至急電話をほしいとのこと。電話をかけると、結果はbenign(がんではない)でも、一度専門医のところに行くことを薦められ、専門医を紹介していただいた。

PCPの医師が専門医、S医師のところのアポイントを取っていただいた。アポイントは3月14日。行く前にマンモグラフィ−の写真と検査結果などの書類を用意しておくので、取りに来てくださいとのこと。

3月ー外科生検 (Surgical biopsy)


3月14日
専門医のDoctor Sのところに行く。担当の看護士Maryにマンモグラフィ−の写真と検査結果を渡す。Maryが本人・家族の病歴などを細かく聞き取り、その後ガウンに着替えて待っているとDoctor Sがマンモグラフィーを見ながら、今手がとても冷たいのでごめんねといって左胸全体としこりの部分・左わきの下を触診し, 左の脇の下に小さななにかを見つけて、これがね?といって、洋服に着替えて、別の部屋で待つように指示され、別室で待っていると、Doctor Sが、がんかどうかわからないので、31日にしこりの部分を取り出し、顕微鏡で見てみることにしましょうとおしゃった。もし結果ががんでなければそれでいいが、そうでない場合は再度手術をすることになるとのこと。手術は1.5−2時間くらいで済み、その日に帰宅できが、麻酔をうつので、車などは運転しないことと迎えに誰かきてもらうようにとのこと。1日後、Dr.SのOfficeから電話があり、3月31日は急にDrに緊急手術がはいったため、24日に変更となる。

3月24日
24日は朝6時30分に家を出て、病院に行き、アドミッション・ルームで書類に記入後、ロッカーの鍵と着替える部屋をあたえられ中の待合室で待つ。名前を呼ばれ、中のオフィスに入ると自分の名前、手術の場所、アレルギーの有無などいろいろ聞かれ、さらに、また待つように言われる。また名前を呼ばれ、今度は超音波室でしこりの部分にワイヤーを挿入。これが手術の過程中で一番痛かった。アシスタントの女性が、このDrはとてもワイヤーを挿入するのがうまいので、あなたラッキイよといわれた。このDrが最後に手術が成功するようにといわれた。このワイヤーを挿入したままマンモグラフィ−の室に行きマンモグラフィ−を撮る。

その後、Dr.Sと一緒に手術の待合室にいって待つ。中国系のとてもやさしい母(そんなに歳ではないが)のような看護士がいろいろと世話してくれた。いよいよ手術室に入ると、あたたかいブランケットを掛けてくれた。麻酔医は私が日本人とわかると、お寿司はアレルギーでないのとか僕は女性のためにいつも働いているとDr. S(女医)にいいみんなで笑った。先ほど撮ったマンモグラフィーと胸に刺したワイヤーがコンピューターとつながっていてスクリーンにしこりの部分がはっきり映っていた。麻酔後気がついたらリカバリー室で、担当の看護士が飲み物を聞き、アップル・ジュースを飲ませてくれ、迎えの友人に電話をしてくれた。

着替え、友人が迎えに来てくれて、一緒にランチをとり、家に帰った。手術後、痛みはそんなになく、翌日金曜なので、1日休みを取り、週末は静養していたところ、日本から電話があり、緊急に日本に帰らなければいけなくなったので、土曜日、オフィスにいって緊急の仕事を済ませ、飛行機を予約し、月曜の便にて日本に帰った。

1週間後、こちらに帰ってくると、Dr.Sのオフィスから伝言が自宅とオフィスに残っていたので、やはりこれはと悪い予感がした。看護士のMaryから電話があり、どうしてDr.S のOfficeに来なかったのか言われ、Family Emergencyで東京に帰っていた旨伝えると、それは大変だったといわれた。MaryがDr. Sとのアポイントをとったので、至急Drのところに来るようにといわれた。、検査の結果を驚かないから今教えてほしいというと、本当にだいじょうぶなのかといわれ、OK、大丈夫だからと答えると、一瞬沈黙があり、がんがあった、それはとても悪いのと聞くとそんなにということはないが、詳細はDr.Sから、出来れば友人・家族と一緒に来たほうがいいと思うがといわれた。 たぶんがんだと半分以上思っていたので、そんなに動転はしなかったが、なにか人事のような感じで、これからどうなってしまうのか、死んでしまうのだろうか?とういうことばかり思っていて、他に何も考えられなかった。友人に知らせると嘘でしょ、といってちょっと沈黙があり、Dr.SのOfficeに一緒に行ってくれることになったので、安心したとともにとてもありがたかった。

4月ー手術

4月5日
4月5日にDr.SのOfficeで待っていると一緒に来てくれた友人の携帯がなり、緊急にクライアントの用件があるとのことで、友人に仕事を優先して、私は大丈夫といって仕事先に向かってもらった。Dr.Sと私だけになり、Dr.Sは本当に残念だけど、バイオプシ−の結果がんがみつかったの。 大きさは 1.5cmだからもう一度手術をしなければならないの。手術は乳房を温存するLumpectomy (乳房温存)で今度の手術はがんがLymph node(リンパ節)にがんが広がっているかを見るため、センチネルリンパ節生検(センチネルはみはりの意味で、ここにがんが最初に転移するので、色素や乳房放射線同位色素や色素を青色などに染めたりした放射性同位が染まったリンパ節を3−4個をセンチネルリンパ節として摘出し、その場でがん細胞があるか調べる)といって、左脇のところをすーとメスをいれて、そこからセンチネルリンパを取り出し、がんがあるかを調べるので、もし、広がっていたら、リンパ節除去をするので、体液が流れるのでDrainというものを脇に多分4−5日入れておくことになるので、後で写真を見せるわといった。私はDr. Sに私のCaseはとても悪いのと聞くとそんなことはないわよ、多分Stage Iで広がっていてもIIだからいった。Dr. Sはさらに広がってしいなかったら放射線はスキップしていいかもねとおっしゃった。

その後看護しMaryがDrain(ドレイン)のはめかたなどを説明してくれて、Operation Deptに電話をして7日の手術時間を聞き、帰宅。

4月7日— 手術
4月7日 今回は少し遅く家をでて、アドミッション・ルームに行き、前回と同じ要領で手術を待つが、ワイヤー挿入はなし。手術室に行くと、手術室の一角にガラスのブースがありPathology(病理)のスタッフが待機している。センチネルリンパを採りだしたらすぐその場で細胞の有無を調る為。酸素マスク・麻酔をしたあと気がついたらリカバリー室だった。アップル・ジュースがとてもおいしかった。迎えに来てくれた友人とランチをとっていると急に日本にいる母のことが思われ涙ぐんでしまった。酸素マスクをしていたので、術後3日くらい口のまわりが痛かった。

4月14日
術後Dr. Sのオフィスに行くと、Dr. Sが大学病院の研修医の若い女性をつれてきた。その際、Dr.Sが彼女はとってもGreatなのよ、同じ箇所を2回、2週間
前に手術をし、そしてがん存在してなかったのよ。と、最終のの病理の結果を聞くと、広がっていず、取り出した腫瘍の周りもクリーンでがんはなかった。 ステージ1といってMedical Oncology(腫瘍内科) とRadiation Oncology(放射線)にアポイントと9月にマンモグラフィ−をとるように指示した紙をよこし、彼女のオフィスのスタッフが全てのアポイントをとってくれた。

5月 Medical Oncologist ConsultationとSecond Opinion

(腫瘍内科医との面談とセカンドオピニオン)

5月2日
5月2日にMedical Oncologistに行き、キモ・セラピーについての相談をする。その際 ある日本人のサポートグループで看護婦のSさんが一緒に行ってくださることになった。

Medical Oncologistのアシスタントの方が私に病理結果のコピーを下さった。私はとてもキモ・セラピーを恐れていたので、何とかしてキモ・セラピーをしなくても済むようにと思ったが、ホルモン・レセプターが陰性(女性ホルモンのエストロゲン・プロゲステロンががんに影響していない)なので、キモ・セラピーをしたほうがよいとのこと。キモ・セラピーも昔よりだいぶ進歩しているので、キモ・セラピーを受けながら働いている人もたくさんいるとのこと。キモ・セラピーにもいろいろな薬品があるが、Dr.Mが薦めるのは次の通りであった。
(1) Dose Dense _ AC (Adriamycin/Cytoxan)を2週間後4回、その後同じく2週間ごとT(Taxol) を4回、合計166週間(4ヶ月)
(2) TAXを3週間毎6回、合計18週間
(3) FEC を3週間後と6回、合計18週間

Dr.Mは (1)が一番私の場合には良いとのこと。

一緒に同行してくれた看護士のSさんがセカンド・オピニオンも是非とったほうがいいというアドバイスで違う病院にセカンド・オピニオンを取ることにした。

5月11日
セカンド・オピニオンをとる病院のコーデイネーから電話がかかってきて、Dr.のアポイントの日にちを渡され、その際には、摘出した腫瘍のスライドのコピーとマンモグラフィー, 病理の結果など全て持参するよう(スライドは病院から直接病院送られて)言われた。数日後、その病院からパッケージが送られ、キモ・セラピーについての説明書や患者が記入すべき書類が同封されていた。

セカンド・オピニオンをいただいたDr. Gは女性でやはり、最初のOncologyが薦めていた(1)の治療をを薦めた。そこで私はこのDrのところで受けることにし、その旨伝え、キモをしていても、仕事を継続したい、出来る限り通常の日々を送りたいことを伝えると、仕事はどういった仕事をしているのか、運転はどれくらいするのかを尋ねられた。それでは金曜日にキモをし、週末は静養し、月曜の午前中に白血球をあげるNeulastaという注射を打つというスケジュールになった。また、キモの副作用など、気持ちが悪くなったり、はいたり、髪の毛や体毛がぬけたりとか。キモの前にWig(かつら)を用意するようWig ShopのリストとPrescriptionをいただいた。5月中旬 マンハッタンのコロンバス・サークルにあるBitzというWigのShopに友人と行き、Wigを購入する。個室にとおされ、担当の男性のスタイリストも3月にキモをおえたばかりで、いろいろとアドバイスをくれた。人工・人毛のWigを何個かTryしたが、人工のWigがいちばん似合っていたのでそれを購入。次回は2度目のキモをする前後くらいに髪の毛がぬけるので、そのころにアポイントをとってくるようにとのこと。代金を払うと、レシートと一緒にMedical Purpose(医療目的)とかかれた紙をくれ、DrからのPrescriptionと一緒に保険会社に送るようにと受付の女性に言われた。

6月 Chemotherapy開始(ACX4)

(化学療法)


最初のキモは6月10日、最初は誰かに運転してもらったほうがいいというアドバイスをいただいたので、AreaのACSにTransportation Service(車)の依頼をした。10日の午前8時にJohnというボランティアの方が迎えに来てくださって、病院に到着。Johnという方も、がんの Survivor(生存者)で、キモをしている最中怪我をし、キモを断念し、今は1ヶ月1度のClinical Trialの注射をしていて、元気だということと、キモを恐れている私に、髪がぬけても少しくらい気持ちが悪くても、キモができるというのは幸運なことだよ。それで多くの方が治癒しているのだからといって勇気づけてくださった。

病院に着くと、レジスターし、保険のカードなどを提出し、待合室で待っていると名前が呼ばれ、中にはいっていくと、名前やらいろいろときかれ、その後、血圧・脈拍・体温を測定され、試験管に3本採血後、体重と身長を測定され、また待ち合い室で待機。その後また名前を呼ばれ、今度はさらに奥にあるキモ・セラピー・スイートと呼ばれる部屋に行くと、リクラインの椅子に夫々TVがある個室があり、飲み物や・クッキー・キャンデーなどがおいてある。そこで、みな夫々の治療を受けていた。幸いこの日はSuite IIの部屋は私1人だったので、Jennyというとっても親切な看護士の方がいろいろとキモについて説明してくれた。

まず、キモの薬を点滴する前に、気持ち悪さを予防する薬を点滴し、その後、まず、Adriamycinという赤い液の薬を30mgを3本を注射器で点滴のチューブに注入し、その後Cytoxan(Cytoxanを点滴していると最初、鼻にかけてツーンと言う感じがあり、少し頭がいたくなるかもしれないと Jennyに言われた)という薬を点滴し、約1時間くらいで最初のキモがおわった。キモはいつもお昼にかかるので、そのさいサンドイッチと飲みものが出され、ツナサンドをとった。来週の月曜に白血球をあげるNeulastaを打ちにくることと、Adriamychinを90mg打つので、許容量の100mgに近くなるので、放射線科でHuga Scanという心臓の機能をみるスキャンをすることになったので、アポイントの時間を知らされて自宅に帰った。

自宅に帰宅したのが1時くらいで、OncologyのDr.Gが予防の為にすぐ家に着いたら吐き気どめを飲むことといわれていたので、吐き気どめをとる。あと水分を十分とるようにいわれたので、お水、オレンジ・ジュースなどを飲む。夕方あまりにもお水を一気に飲みすぎたのと、軽い頭痛がしたので、ベッドに横になる。夜になると寝汗とひあ汗がとても出て、少し呼吸が困難になった気がした。NurseのJennyが体温が103FC以上になったら、電話をするようにといわれていたので、その際いただいた体温計で何度も体温を測ったが正常な98FCだったので、Infectionはおこしていないものと安心するが、気持ち悪さとひあ汗は続いていて、今まで経験したことがないほどの体調で、1度はいてしまった。はくと少し楽になったが、このまま死んでしまうのではないかと思った。 それとキモなどしなければよかったとつくづく後悔したが、翌朝目が覚めると、気持ち悪さもひああせもなくない、シャワー浴び、シリアルとオレンジ・ジュースをとることができた。週末は休養していた。 

Chemotherapy 続き


月曜日は日曜日よりも体調はよく、シャワーをし、シリアルとオレンジ・ジュースをゆっくりとり、車を運転して病院に着くと、まず、看護士が血圧・体温・脈などを測定し、キモ後の様子(吐き気などがあったかなど)聞き、Neulastarを打って帰宅した。この注射は打つ人によって違うが、けっこうちくりとする、副作用は骨のジョイントが痛くなるとのこと。最初の1回は少しジョイントが痛くなったが、その後はあまり感じなかった。放射線科のところでHuga Scanを受けて帰宅。

火曜日—最初のキモオフィスに行く。運転も大丈夫、ただ、なんとなく口の中がおかしいのと、あまり食欲がないので、バナナ・フルーツいりのヨーグルト・パンなどをもってオフィスに行く。
夜私の事を気にかけてくださっていて、何人かの友人が電話メイルを下さった。とてもうれしかった。一人ではないんだなー、無事にキモをスケジュール通りにのりきろうと思った。

最初のキモから10日後くらいから、髪の毛が細くなった感じし、すこしづつ抜けはじめたので、とても髪の毛のことが気になりはじめた。夏なので、シャンプーをしたかったが、シャンプーをすると一気に抜けてしまう気がしたので、シャンプーはせず、熱湯でしぼったタオルと気をつけてふくことにしたが、やはり結構髪の毛は抜けた。2回目のキモの前にWigを購入した店に電話をして髪の毛をかってしまおうと思い予約をとったが、いっぱいとのことで、キモの翌日の土曜日に予約をとった。Wigの店に行くと、個室に通され、前回と同じスタイリストが、大きなバリカンを持ってきて、今から髪の毛をかるけど、結構ショックなことだから、椅子を後ろにしておいたほうがいいと思うのだからどうする?問いわれ、わからないから、其方で決めてというと、それではといってぐるっと椅子を回されて、鏡に対して後ろにされた。あっというまに、私の髪の毛がかられ、床におちっていった。髪の毛がすべてかられると、椅子をぐるっと前に回され、丸坊主、よくいうのなら、Skin Headの私と対面。やはり、とてもショックであった。その後、スタイリストからWigのかぶり方を教えてもらい、練習をして、そのままウイッグをして、帰宅した。ウイッグ店の受付にどうと聞くととっても似合っているわといわれ、ウイッグだとはわからないわよといわれほっととして店をでるが、やはり、なんか違和感と周りの人達がすべてわたしのWigをみているように感じた。

Chemotherapy 一ヶ月たって


ウイッグをしてJuly 4thのHoliday後オフィイスに行くと、皆がナイス・カットといってほめてくれた。普段そんなことをいわない人達が私のところに来て、すごくいいヘアー・スタイル、似合っているとほめてくれるが、私としては、もうお願い、そんなに私の髪の毛について注目しないでほしいいと思った。トイレにいくたびにどうぞ誰もいないようにと願っていた。  

夏なので、家に帰ってきてWigをとるとほっとした。最初、丸坊主の頭はちょっとひりひりとしたり、短くかった髪の毛が抜けて枕などについていたり、ウイッグをとるとあとがついていたり、少しいたかったりした。ウイッグのヘアスタイリストから髪の毛がなくても地肌がドライにならないように、頭洗ったら、リンスまたは頭を洗う場合は石鹸ではなくシャンプーとかボデイ・ローションでとアドバイスされた。ウイッグが私の必需品となった。 

キモをする前から必ず外から帰ったら、石鹸で一分以上手を洗うことと、うがいをすることにし、混みあった場所、モールなどには必要以外行かないようにし、怪我をしないよう気をつけていた。
最初のキモをして、4 - 5日たつと、だんだんと食欲もでるようになり、次のキモの2 - 3日前ごろから食欲がピークになるといった感じだが、だんだんと肝をしてくると薬が体に蓄積されてきて、回復のリズムとか食べ物の好むなどが変わってきた。私はお水がまったくといって体が受け付けなくなり、歯を磨くたびに水道水のケミカルのにおいにとても敏感になったりしたが、水分補給のため、アイス・バーとかミルク・アップル・オレンジ・ジュースなどは大丈夫で、食べ物は硬いものより、柔らかい食べ物、トマト・カレー・ソースなどの食べ物を良く好むようになった。ACのキモ中、約10 -15パウンド体重が減って、ずっと直立しているのがとても苦痛になった。 

それとキモをした直後はTVなどのぎとぎとしたファースト・フードのコマーシャルなどや暗いドラマを観ているのがけっこう苦痛で気持ち悪くなった。今年の夏はどこにもいけず、ずっとキモのこと考えるていると気がめいった。目をつぶると昨年の6月末に行った、南イタリアの海やオリーブ畑などの光景が目に浮かんだ。また、キモ直後はもう2度とあの病院に行きたくないとか、嫌悪感を感じたが、だんだんと次のキモ近くなると、体調が良くなっているので、次のキモもがんばろうというようになった。やはり体と精神はつながっていて、ひとつなのだとつくづく感じた。

8月 Taxol ×4回(2週間毎)


ACを4回後、7月末に入って新しい薬のキモを開始。Taxolを4回。このTaxolの点滴をする1日前の夜と当日の朝に副作用を抑えるためにステロイド剤を10錠づつとる。そのために興奮状態になり、夜眠れなくなるかもしれないが、それはこの為だから心配しないようにと看護士Jennyが教えてくれた。また、この薬を点滴するのに、4 - 5時間かかるとのこと、最初の1回目はトータルで5時間半くらいかかるので、終わるのが3時くらいになるとも言われた。このTaxolは前回のACよりは気持ちが悪くならないし、食欲も出てきたが、手足の先しびれる副作用がある。この薬を打った翌日はなんか足がちぢんような気がし、手足の先がしびれ、本などの頁をめくったり、ボタンをはめたりはずしたりする時などちょっと大変だったようじ感じた。Taxol の2回からは自分で運転してキモをしにいったが何も問題はなかった。

9月16日
やっと最後のキモとなった。今回はNeulastaの注射はなしとのこと。Dr. Gがおめでとう、ビッグ・パーティをしなくちゃね。といわれお世話になった看護士の方々にお礼をいい、会えないのは寂しいけれど、もう2度と戻ってきたくないというと皆、絶対に戻ってきてはだめためといって、とても親切だったJennyにJennyが注射してくれると全然痛くなかったほんとうに You are bestといって、ハグをして別れた。ほんとうに看護士の注射は打つ人によってちくりと痛かったっり、少しあざになったりしたが、彼女が打つと全然痛みがしなかった。この頃にはまゆげの半分がぬけ、まつげも体毛ほとんど抜けてしまい、肌はつるつるになったが、鏡をみるのが、少しいやになった。

Radiation 放射線治療


最後のキモの後に放射線のDr.Nのアポイントをとってもらい、放射線の説明を受ける。放射線をしないと、34%再発するが、すると34%が防止できるので、是非することを薦められる。が、約6週間月曜から金曜日この病院に通うのはちょっとできないようがして、自宅に一番近い病院の放射線のDr. Tとアポイントをとることにする。アポイントをとった際、Oncologist, Dr. Gの電話番号などを聞かれ、この病院からオンコロジストに連絡がいき、私の今までのキモに対するデーターが送られた。

Radiation Treatment開始(放射線治療)


10月11日−Dr.Tの受診を受ける。この病院の放射線科は夜10時までやっているので、希望の時間帯に沿うようしてくれることになり、この病院に決めた。放射線を受ける前に、シュミレーションといって、放射線を受ける患部の形状をコンピューターで解析をし、照射位置を決め、左胸のところにを測定したり、小さなマークを胸に刺青した。また、私自身の枕みたいなものを作成したりとかげ、約1時間くらい左腕を上げているのがとても疲れた。
放射線はキモと違って気持ち悪くなったりしないが、放射線をするために、放射線科は2人でペアを組んでいて、私はほとんど夕方受けていたので、2人
の男性のペアがうけもっていた。行くとまず、どんな音楽をかけるかと聞かれ、その後私の名前が帰された枕みたいの上に横になるとピーといった音がし、放射線の器械が 右上から左胸に向けてはじまり、あとは左上からはじまり、4 - 5分くらいで終わり。週一度採血とDr.Tのチェックをうけ ラスト10回くらいは術後の傷の患部にしぼった放射線を受け、33回の放射線治療を12月 13日に終了した。放射線を受けている間最初の2-3週間はなんかちょっと疲れた感じがし、左胸が少し赤くなったが、皮もむけず、ぐじゅぐじゅにもならず、終わった。放射線を受けた患部はかたいが、時とともに、もとにもどっていった。


以上が私の約7ヶ月の治療の体験談ですが、今まで普通であることが当然と思っていたが、普通であるということがいかに大切であるかと痛感した。また、この病気になったのは、神から自分へのWake Up Callであり、自分の体を大切にしないといけないということを感じ、人は一人で生かされているのでは、なく、親、家族、友人など周りの人達に生かされていることも痛感した。どうして自分がとういうことをいつも思っていたが、この病気をきっかけに自分の人生をプラスにしてしっかり生きていこうと思った。
                                  A子 NJ